情報の取り扱い説明書 2015年版

僕らが感じ始めたSNSへの違和感の理由と対処を一旦マトメ (1/3)

文●高橋幸治、編集●ASCII.jp

2015年07月01日 10時00分

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 ASCII.jp編集部・西牧氏の「ソーシャルメディアに対するそこはかとない違和感」の原因を究明すべく、まずは4回ほど連載を進めてきた。その後、多少なりとも現状を分析するためのヒントをつかんだという旨の連絡をもらった。

 せっかくなので、西牧氏から再度もらったメールを見つつ、これまで並べてきたキーワードをざっと振り返り、書き漏らした事柄などもまじえて補足してみたい。

 まずはもらったメールから。

情報を受信するためのフィルターが必要なのでは

 高橋さま

 ASCII.jp編集部の西牧です。このたびは個人的な違和感について、こんなにもていねいに答えていただき、ありがとうございます。

 「メディアの液状化」や「ニュースの製造」、「世間のメディア」化といったキーワードをもとに、高橋さんにお話いただいたことが、結果としてソーシャルメディアへの違和感につながっているのだろうなと、おぼろげに見えてきました。

 ソーシャルメディア内で、何事(本当にどうでもいいこと)にも批評的なコメントを頻繁に見るようになり、SNSって投稿するのが難しいと感じていました。そうしたことも、これまで連載で語られていたことが原因なのだろうと自分の中で推測しています。

 とはいえ「ではソーシャルメディアから離れれば」、ということにはならない、というお話もありました。「セレンディピティー」の機会を失わないために、情報の摂取も必要であると。

 そこで、「受信のスキル」と「情報編集術」にとても興味が湧きました。私自身が個人的に、あるいはメディアとして情報を発信している、ということもあるからです。

 ASCII.jpはマスメディアとして毎日ニュースの製造をしています。ニュースはソーシャルメディアで拡散され、受信した人々からさまざまな反応をいただくこともあります。拡散だけされて、ニュースの本意が届かないこともしばしばです。ニュースそのものが受信されないことすらあります。

 インターネットの登場以降、誰もが情報を発信できるようになり、情報量が爆発的に増えました。その要因のひとつとして情報を発信している私としては、ニュースが受信されたりされなかったりするのを見て、「これだけ情報が溢れている中で、無駄な情報であろうとなかろうと、受信するにはある程度フィルターが必要ではないのか」と感じていました。そのあたりをもっと考えないといけないと思っています。

(次ページでは、「最初期のラジオはインターネットだった」)

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