週替わりギークス

10年前の人気Twitterユーザーは今どうなっている?

文●吉永龍樹 編集● 上代瑠偉/ASCII

2019年05月21日 17時00分

Twitterが廃れ始めると、絶対的な人気は下がってしまう

 ツイッタラーの影響力は、当たり前だが「Twitterというプラットフォームを使っている人数」に比例する。

 そのため、Twitterの利用者が伸びているうちは良いが、Twitterが廃れ始めると、同じことを続けて同じ順位をキープしているのに、絶対的な人気は下がってしまうのである。

 栄枯盛衰はどんなプラットフォームにもある問題で、Twitterより前にはmixiで人気のユーザーがもてはやされていた。その前は僕も多くの恩恵を受けたブログ、もっというと、新聞、ラジオなども同じ推移をしただろう。どれも滅びてはいないが、全盛期の勢いはまったくない。この傾きはじめた場に残り続ける現象は「沈みゆく泥舟に乗っている」とも表現されたりする。

 ここで個人の仕事人生について考えると、もし傾いていくプラットフォームに人生を賭けていた場合、船が傾くことは死につながりかねない。だからこそ、傾かない「大丈夫なプラットフォーム」を選ぶセンスは重要であると思う。

 しかし、「大丈夫なプラットフォーム」とはいったい何なのだろうか?

大丈夫なプラットフォームはあるのか?

 昔は1つのプラットフォームの寿命が長かった。

 たとえば、寿司屋になるために10年修行するとして、10年後に寿司屋というプラットフォームがなくなる可能性は、まずないだろう。

 だから、人生を賭けて寿司職人を目指しても、「寿司屋自体が世界からなくなる」という理不尽な目にはあわなくて済む。このジャンルでは、近視眼的に「自分の寿司作りの能力」だけを磨いていれば、どうにかなる可能性が高いのだ。寿司バトルで勝てるかどうかは才能の問題なので人によるが、とにかく「場」自体がなくなる、というような理不尽はない。日本にかつてあった「終身雇用」もこれにあたるが、いずれにせよ「プラットフォームが滅びない」という大前提が必須だろう。

 そして、もう少し新しいプラットフォーム、たとえば「テレビ」だとだいぶ話は変わる。

 日本ではテレビは1953年に本放送を開始してから65年が経つが、「物珍しいもの」を脱却してテレビがどんどん普及拡大した50年前頃は「人生を賭けても大丈夫な勝負の場」と捉えられていただろう。だから、テレビの人気芸人を目指すなら純粋に芸だけを磨いていればよかった。だが、ネットとスマホと定額見放題サービスが普及し続ける今、20年後も現在と同じ数の人が日常的にテレビを見ているかどうか? かなり危うい。そうなると、今から人生を賭け、テレビに最適化したお笑い芸を身に着けたとしても、そのときには場自体が消滅している可能性も出てくるのである。

 最後に現代の新しいプラットフォーム。前述のmixiは2004年に誕生し、2012年頃には勢いが落ち込み始めていた。わずか8年である。ブログ、ケータイ小説、ニコニコ動画、ツイッター、vineなど……。

 ほかにも、いろいろなプラットフォームが誕生し、そのたびに大成功する人は現れたが、現代のサービスはネットの特性上スピードが速い。普及するのも速いが、同時に廃れるのも信じられないほど速いのである。そうなると、これらのサービスは僕らが生きているうちに滅びることが前提なので、寿司屋とは違い人生を賭けるようなものではなくなってくる。

 そして、これから先の未来、本当に永遠に安定したプラットフォームなんてほとんどない、大激変の時代になる予感はすごい。どんな仕事も「機械やAIに仕事を取られる」「別の発明で廃れる」「収穫量が激減する」など、以前は予想もしなかった要因で泥舟になる可能性がある以上、「すべてのプラットフォームは滅びる可能性がある」という可能性を考慮しながら生きるのが、唯一即死から遠ざかる方法という時代になってしまったと思うのだ。

※もちろん、官僚、伝統職人など、滅びにくいプラットフォームはいくつもある。ただ滅びにくいプラットフォームほど硬直しており、若い新参者が才能だけで成功することは難しくなる。リスクとリターンは等価交換なのだ。この差については話が逸れてしまうので、また別の機会に。

Jリーガーの大半は引退後、普通の会社員になる

 すべてのプラットフォームは常に滅びる可能性を孕む時代になったことはわかった。だとしたら、どう生きればいいのか?

 その答えが「境界線を超える能力」を持つことである。

 要するに、「自分が慣れ親しみ戦ってきた主戦場を離れ、新しいプラットフォームに移動する能力」が今後多くの人に必要になると思うのだ。

 特定の業界、たとえば、スポーツ選手やアイドルなど年齢に制限がありがちな世界では(泥舟が沈むのではなく、自分の肉体限界という違いはあるが)、すでにプラットフォームの移動が日常的に行なわれている。

 たとえば、Jリーガーの平均引退年齢は25歳と聞くが、引退した後も人生は続くので、何らかの仕事で生きていかなければいけない。「サッカー関連の仕事をすればいい」と思うだろうが、本人たちに話を聞くと、コーチや解説者、タレントなどのサッカーに関するセカンドキャリアにつけるのは選ばれた天才のみ。大半は「普通の会社員や、地元のコンビニ店長など、前職とは似ても似つかない職業に収まり、なんとかお金を稼ぐ」という現状らしい。

 彼らの大半は、人生の25年間はサッカーのみを命がけでやってきたので、Jリーガーになれた。だが、逆に言うと、「サッカー以外の知識が乏しい」ことが多いらしく、なかなか別の職業で活躍できる可能性が限られてしまうらしい。実力も人気も備えた本当の天才Jリーガーならセカンドキャリアもサッカー関連の職業につけるが、残念ながら普通のJリーガーはそうではない。

境界線を越えられる人だけが生き残れる

 Jリーグを我々に当てはめてみても、同じことが言える。

 今の仕事を専門的にがんばり、1日24時間のなかで「多くの時間を自分の専門仕事に使うルーティーン」が上手く機能すればするほど、自分の能力は高まる。仕事で成功する可能性も高まるだろう。だが、それは、逆に言うと、「他の能力の習得を捨て、等価交換で得た能力」に過ぎないのだ。

 今までの時代はそれでよかったが、前述のように自分の戦っているプラットフォーム自体が滅んだ場合、ほかの技能には時間を割いてこなかったので、素人同然の自分だけが残るという結果になる。

 それを避けるためには、人生を何か大きな1つのものに賭けすぎることなく、副業などでうまく複数の勝負の場を残したり、場が滅んだときに速やかにプラットフォームを移動したりする能力が必要になるだろう。

 はじめに書いた人気Twitterユーザーたち。彼らのなかで現在勢いが増していたのは、Twitterだけに固執せずに、InstagramやYouTubeなど新しい媒体に積極的に移動できた人たちが多かった。要するに、境界線を移動できた人々だ。

 不確定要素が多すぎて、1つのことに集中しすぎても危険がともなう現代。うまく「境界線(プラットフォーム)を超える能力」を身に着けていきたいものである。

吉永龍樹(よしながたつき)

 1979年生まれ。静岡出身。サラリーマンクリエイター。NTTレゾナント勤務。同時に、個人クリエイターとして個人ブログ「僕の見た秩序。」が開設4年で1億アクセスを記録するヒットに。以後、ネット知識を活用した作品を多数発表。「特ダネ!投稿DO画(NHK)」キャラクターデザイン、「ゆかいなエヅプトくんLINEスタンプ」などの作品で会社員兼クリエイターとして二足のわらじの働き方をしている。主な著書に『ハイブリッドワーカー(講談社)』『ゆかいな誤変換。(イースト・プレス)』など。Yahoo! WEB of the YEAR話題賞、Webクリエーションアウォード WEB人賞、アルファブロガー・アワードなど受賞多数。

協力:QREATOR AGENT

 起業家、デザイナー、研究者など、職業・業界にかかわらず、クリエイターの才能を最大化することを目的に結成されたPR会社。江渡浩一郎(メディアアーティスト)、落合陽一(メディアアーティスト/筑波大助教)、きゅんくん(メカエンジニア)、坂巻匡彦(プロダクトデザイナー)など、約170名のクリエイターが所属している(2016年8月上旬時点)。

http://qreators.jp/qreator/ichiran

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