しかしこうした高評価は、あくまでも純然たる“腕時計”として見ているからこそでもある。なぜなら、腕時計に対して期待する機能は、さほど広いバリエーションが存在しないからだ。むしろ、外観のデザインや質感、操作に対する応答の感覚(たとえばボタンを押した感触など)の方が価値は高い。基本機能に対する信頼感がもともと高いからだろう。
実際にApple Watchに触れてのインプレッションは、想像以上に“腕時計”であり、腕時計としてのステータスの出し方や、上質さの演出が徹底されているということ。パソコンやスマートフォンを量産するメーカーの作る商品とはとても思えない。
翻って“電子機器”としてApple Watchを見るとどうだろうか?
実はこの視点の違いに、Apple Watchに対する見方が両極端に分かれる原因があると思うのだ。純然たる電子機器としてApple Watchを評価するとき、筆者が最初に考えるのは、商品としての鮮度が保てる“賞味期限”である。
機械式時計は、もちろん製品の質にもよるが、最低でも数年単位、そこそこの製品でも数10年、あるいは一流品ならば100年を越えて使われる腕時計となり得る。そうした商品と比べた時、Apple Watchがどのぐらい、その鮮度を保てるだろうか。
スマートフォンならば、およそ2年がひとつの区切りと言えるだろう。近年は基本性能や使い勝手が向上し、もっと賞味期限は長いという意見もあるだろうが、長くとも4年ぐらいだろうか?パソコンならばどうだろう。4年間、製品として鮮度を保てるだろうか? そう考えた時、電子機器としてのApple Watchがどのように評価すべきなのか。
Apple Watchを時計として評価した方々の高評価と、電子機器として評価した場合の評価に対する迷いはそこにある(さらには別途、スマートウォッチというジャンルに対する基本的な疑問も残っている)。
5万円の時計を10年使うならば安いが、1~2年で鮮度を失うようだと高く感じるものだ。あくまで例え話だが、1年後に3日間バッテリーが持続する第2世代のApple Watchが発売されたならば、第1世代はとたんに色あせてしまう。機械式時計の世界は、こうしたあっという間に色あせるというリスクがない。
アップルがApple Watchという製品を、デジタルガジェットの領域から逸脱する、腕時計カルチャーに属する製品と位置付けたいのであれば、このような漠然とした疑問、懸念に対してメッセージが欲しいと思う。
本田雅一(ほんだ まさかず)
フリーランスジャーナリスト、コラムニスト。IT、モバイル、オーディオ&ビジュアル、コンテンツビジネス、モバイル、ネットワークサービス、インターネットカルチャーなど、テクノロジーとインターネットで結ばれたデジタルライフ、それらの関連技術、企業、市場動向について、知識欲の湧く分野全般をカバーする。