なにかと生活に不便があるアメリカで賞賛される
体験の不確実性の是正は起業家が本来やりたかったこと?
日本ではあまりにも当たり前すぎて気づかないようなことが、米国では当たり前じゃなかった。しかし、そうした問題を解決すると、賞賛されるスタートアップやサービスの誕生です。
たとえばUberは、ライドシェアのアイディアで移動の不自由を排除できるようにするサービス。Apple Payはスキミング被害があまりに多い決済事情を解決する仕組みです。特にコンシューマ向けのサービスを見ていくと、「体験の不確実性」を解決するためのものが多いことに気づかされます。
シリコンバレーにおける自動運転車の活発な研究も、そもそも公共交通機関がなく、毎日渋滞で片道2時間を通勤にかけているその時間をなんとかしよう、という切実な日々の暮らしの問題解決が原動力に見えて仕方ありません。
そうした問題解決で一儲けするのもよいのですが、そもそも人々は、身近な暮らしの問題の解決を本当にやりたかったのでしょうか。もちろんそういう人もいるかもしれませんし、ビジネス上、そうしたサービスに向けていった方が市場は大きくなるでしょう。
ただ、その問題が存在していない国で起業を志したら、人類の生活そのものを変えるようなまったく違ったものを作っていたかもしれないと想像することがあります。
そうした本当にやりたいことに全精力を傾けるなら、ローコストでチャレンジできる日本はイケてる環境、ということになります。そして、選択肢が選べる日本人はイケてると思うのですが、いかがでしょうか。ちょっとハードルが下がった話にも聞こえますが。
我々が考えるべきは、そうしたイケてる日本を、イケてる状態でいかに存続させていくか。日本での「当たり前」が世界では当たり前ではないことを認め、そこに執着していくことじゃないかと思います。
筆者紹介――松村太郎
1980年生まれ。ジャーナリスト・著者。慶應義塾大学SFC研究所上席所員(訪問)。またビジネス・ブレークスルー大学で教鞭を執る。米国カリフォルニア州バークレーに拠点を移し、モバイル・ソーシャルのテクノロジーとライフスタイルについて取材活動をする傍ら、キャスタリア株式会社で、「ソーシャルラーニング」のプラットフォーム開発を行なっている。
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