スマホメーカー栄枯盛衰~山根博士の携帯大辞典

アップルなんて目じゃない黄金期「ノキアの顔」Nokia 6600の登場

文●山根康宏 編集●ゆうこば

2016年12月31日 12時00分

 ちなみに、2002年と言えば、すでに日本では3Gサービスが開始。iモード利用者もドコモの加入者の半数以上に達しており、携帯電話を使ったメールや写真のやり取りもすでに行なわれていました。

 そのため、7650の発表は日本で大きな話題になることはありませんでした。しかも、7650はGSM/GPRSのみに対応。通信速度も遅かったのです。

 しかし、Nokia 7650の秘密は高性能な携帯電話というだけではありませんでした。JavaだけではなくOSネイティブなアプリケーションを利用することができたのです。

 つまり、いまのスマートフォンと同様に、サードパーティー各社製のアプリケーションを後から追加して利用することも可能でした。

 また、Symbian Series 60は携帯電話スタイルの端末向けに開発されており、Nokia 9210 CommunicatorのようなQWERTYキーボードを備える高価格・ビジネス向け以外の端末にも対応。今後続々とSeries 60端末が登場することもアナウンスされたのです。

 2003年には「Nokia 3650」が発表されました。曲線を多用したボディースタイルは若年層を狙ったもので、カジュアルなスマートフォンとして人気となります。

 このころのノキアは、フィーチャーフォンもバリエーション豊かな製品を次々と送り出していました。

 モデルは1000番台で区分され、2000、3000、5000、6000、7000、8000、9000とターゲットユーザーごとの製品をほぼ毎月発表。Symbianスマートフォンは3650、7650いずれも3000番台、7000番台モデルの中での最上位モデルとなります。

ノキア=スマートフォンメーカー、と言う図式を確立した「Nokia 6600」

 そして、2003年の冬には「Nokia 6600」を発表。スライド式の7650、縦長の3650とは変わり、手のひらにすっぽりと収まる流線型の小型ボディーに、デジタル2倍ズーム対応のVGAカメラを搭載、32MBのマルチメディアカード(以下、MMC)に対応しました。

 Symbian Series 60 OSもバージョン2と上がり、アプリの数も急増。「手の平の中でカンタンに使えるスマートフォン」として爆発的な人気となります。

 Nokia 6600の累計販売台数は1500万台を越え、当時のスマートフォンの「顔」ともなり、あらゆる携帯電話の中で最上位に位置する製品として注目を集めました。

 当時のIT系雑誌の表紙には、必ずと言ってもいいほど6600が顔を出していて、現代で言えばiPhoneのような存在になったのです。

 人気の秘密のひとつは高機能なだけではなく、スタイリッシュなデザイン。これを手がけたのは、当時のノキアの開発部門に所属していた加賀美淳一氏でした。

 Nokia 6600のヒットでノキアは「スマートフォンメーカー」としての地位を確立します。

 2004年には、メガピクセルカメラを搭載した「Nokia 7610」を発表。同年には3G対応の「Nokia 6630」も投入され、日本でも発売されると一部の層を中心に人気製品となりました。

 当時の日本はiモード全盛時代。高度な携帯インターネットは利用できたものの、端末そのもので自由にアプリを走らせたり、データを操作することはできませんでした。

 それに対して、Nokia 6630はユーザーが自由にアプリを入れたりデータを操作できるオープンなスマートフォンとして、ファンを増やしていったのです。

 ノキアの携帯電話全体の市場シェアは、2000年に入ってから30%台を維持しており、シェア1位の座に堂々と君臨していました。

 モトローラが「RAZR」人気で20%と追い上げを図るものの、ノキアの地位を脅かすまでの存在にはなりませんでした。四半期ごとの数字を見れば、ノキアだけで40%を超すこともあるなど、2000年台中半はノキアの天下が続いていたのです。

 数だけを見れば、低価格なフィーチャーフォンが圧倒的な販売台数を記録していましたが、それもノキアが高機能かつ多彩なバリエーションのスマートフォンを持っていたからこそ。

 人々はノキアのお店に行き、自分の予算に応じてノキアの端末の中から好みのものを選べるほど、ノキアの端末種類は多かったのです。フィーチャーフォンも合わせれば毎月1〜2機種の新製品が登場していました。

日本でも発売になり人気機種となったNokia 6630

Symbian王国を着々と築き上げる3つのシリーズ

 そのノキア製品の中心的存在となったSymbianスマートフォンは、2005年に大きな進化を図ります。

 これまで1000番台の4桁型番としてさまざまな製品が開発されていましたが、新たにビジネス向け、マルチメディア強化の製品を別のシリーズとして展開することにしたのです。

 ビジネス向けは「Eシリーズ」、マルチメディア端末は「Nシリーズ」となり、それぞれE、Nに数字2桁を付与した製品名となります。また、従来からの1000番台の端末も引き続き開発されます。

 これによりノキアのスマートフォンは「一般向け」「ビジネス」「マルチメディア」と3つのシリーズとなり、製品バリエーションを一気に広げていきます。

 2005年に発表された初代のEシリーズ端末は「Nokia E60」「Nokia E61」「Nokia E70」の3モデル。ストレート、QWERTY、そして開くとQWERTYになる変形端末と言う、3種3形態の製品が登場しました。

Eシリーズ、Nシリーズとモデル数を一気に拡大していった

 また、Nシリーズは小型のスライド式「N80」、ノキアにしては珍しい折り畳み型の「N71」、DMB放送に対応し縦にも横にも開く「N92」が登場。

 4桁型番モデルは10キー部分が回転する「Nokia 3250」、6630の後継機「Nokia 6680」、そしてそのGSM版となる「Nokia 6681」が発売になりました。2005年はノキアだけで9機種ものSymbian Series 60機が登場しました。

 2006年にはSeries 60の名称を「S60」に変更し、シンプルなものとしました。前年モデルが秋冬に登場したため、この年のS60新機種も9機種と同数でしたが、日本でも登場した「N73」「N95」はこの年の製品です。

 また、カールツアイスレンズに3倍光学ズームレンズ搭載のカメラ端末「N93」も登場。Nシリーズのラインナップは前年と合わせて8機種まで増えました。

 ところで、S60端末が着々と製品数を増やす一方で、コンセプトそのものが消滅してしまった製品もあります。

 そのひとつが「N-Gage」(エヌ・ゲージ)。任天堂のゲームボーイを意識した製品で、Symbianスマートフォンでありながらも、横向きに両手に持つスタイルで、ゲームはMMCカードで供給されました。

 ところが、電源を落とさなくてはMMCカードを交換できないなど使い勝手は悪く、N-Gageそのものの本体価格も高価でした。

 2003年に登場し、2004年にはホットスワップ可能な「N-Gage QD」が出たものの、N-Gageシリーズは2機種で終わってしまいました。

 ほかにもSymbian OSの派生モデルも消えていきました。大型のタッチパネルディスプレーを備えた「Nokia 7710」は、Symbian Series 90を搭載。入力はスタイラスペンを使い、小型のノートPCのようにも使えることを考えた製品でした。

 しかし、Windows Mobileなど、ほかのOS機の方がペン操作に特化したUIやアプリがそろっていたこともあり、Series 90機は試作モデルの「Nokia 7700」と、こちらも2機種のみに留まっています。

ペン操作できるタッチパネルを備えた「Nokia 7710」

 このペン操作は、ノキアとしても他OSのスマートフォンユーザーの取り込みをはかりたかったのか、ほかにも「Nokia 6708」を2005年に発売しています。

 ちなみに、ノキア製品で最後の型番数字に「8」があるのは中国語圏向けの製品です。この6708はOSがSymbian UIQで、当時ソニー・エリクソンが採用していたペンタッチスマートフォンと同じものを採用していました。

 さらに、製造はノキアではなく台湾のベンキュー(BenQ)が手掛けたもの。S60のタッチパネル化よりも、UIQ端末をODMで引っ張りラインナップに加えたものの、売れ行きは思わしくなかったようです。

 2007年に入ると1月にアップルがiPhoneを発表し、世界中の注目を集めます。とはいえ、スマートフォンからフィーチャーフォンまで絶好調のノキアにとって、アップルはライバルには見えなかったのかもしれません。2007年にはS60スマートフォンを15モデルも投入、1ヵ月1台以上のペースです。

 この年には、横開きQWERTYキーボード端末向けのSymbian Series 80を廃止し、S60で対応させた「E90」を発売。キセノンフラッシュで暗い室内でも明るく写るカメラを搭載した「N82」は、翌年日本でも発売されました。

 さらに、モデル名の拡張も行なわれ、クラシカルなキャンディーバースタイルの「Nokia 6120 Classic」、GPS機能を強化した「Nokia 6110 Navigator」といった製品も登場。このほかのモデルも販売は好調でした。

 ノキアの携帯電話販売台数は、2005年が約2億6561万万台、2006年は約3億4492万、そして2007年に約4億3545万台(ガートナー調査)。世界の携帯電話市場の成長に合わせ、毎年1億台弱の販売台数を伸ばしていたのです。

 2007年6月に発売されたiPhoneに対して何らかの対抗処置を行なうべきだったのでしょうが、ノキアの反応は鈍いものでした。

 というのも、ノキアのスマートフォンのライバルはアップルよりもBlackBerryであり、QWERTYキーボード端末の「E61i」など、ビジネス向け製品の強化を進めていました。

 しかし、タッチパネル対応端末の投入の遅れは、結果として翌年の販売数に大きな影響を与えることになるのです。

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