グローバル人材とはなにかについて考えさせられる
プログラミングのカリキュラムを作る中で、常に悩んでいるのは、「英語」の存在です。学校でのプログラミングの授業が、学校での英語と同じになってしまっては困るということです。
日本の学校で教科書通り英語を学んでも、喋れない。言葉が喋れないと使えないのも同然です。そして多くの場合、喋れないからつまらない。日本人は語学学校でも、文法と単語量は優れています。ただ、それだけなのです。プログラミングの授業がそうならないようにと。
コードアカデミー高校で必修としたプログラミング。もちろん、出身者全員がソフトウェアのエンジニアになるわけではありません。実際に3年生の進学希望を見ていると、文系に進む生徒も少なくないからです。
グローバル人材は英語が話せるというのは、日本人からすれば当たり前じゃないかというのと同じ考えです。確かに英語が使えることはアドバンテージになります。
ただし英語が共通言語になりやすいというだけの話なのです。英語が話せることは能力ではありません。実際、カリフォルニアでは、英語以外も共通言語になり得ます。
たとえば、スペイン語は、移民の土地柄、通じる人が多いです。加えて中国語も便利かもしれません。黄色人種に対して、中国語で話しかけられることも多いほどです。もし自然言語を能力とするならならば3つ以上の言語が流暢でなければならないと言えます。
プログラミングも「言語」の1つとしてとらえるなら、能力として良いのか悩みます。
世界中で、プログラミング教育が普及してしまうと、プログラミングも「共通言語の1つ」という位置づけになってしまうのではないか、と思いました。ただ、今は国内外で能力として通用します。もちろん求められるレベルは高いのですが。
共通言語としてのプログラミングと、能力としてのプログラミング。この2つを意識しながら、また新しい学期へ向けての取り組みを進めていくことになります。
ちなみに来月は、コードアカデミー高等学校初の卒業生を輩出します。話の続きは、またそのときにでも。
筆者紹介――松村太郎
1980年生まれ。ジャーナリスト・著者。慶應義塾大学SFC研究所上席所員(訪問)。またビジネス・ブレークスルー大学で教鞭を執る。米国カリフォルニア州バークレーに拠点を移し、モバイル・ソーシャルのテクノロジーとライフスタイルについて取材活動をする傍ら、キャスタリア株式会社で、「ソーシャルラーニング」のプラットフォーム開発を行なっている。
公式ブログ TAROSITE.NET
Twitterアカウント @taromatsumura