スマホメーカー栄枯盛衰~山根博士の携帯大辞典

全製品がヒットした奇跡のメーカー・ハンドスプリングのPDAこそスマホの元祖だ

文●山根康宏 編集●ゆうこば

2017年07月30日 12時00分

 Visorに装着できるモジュール「スプリングモジュール」は手の平に乗るほどコンパクトな大きさで、プラグアンドプレイの脱着に対応していました。

 また、スロットはVisor本体の背面上部を欠き取った開放型となっており、スロットのサイズを超えた大型のモジュールをつくれたのです。さらには、電源はVisor本体から供給できたので、小型のモジュールもつくれました。

 スプリングモジュールは、メモリー(フラッシュメモリー)やコンパクトフラッシュカードアダプター、Bluetoothといった本体機能を拡張するものだけではなく、万歩計やデジカメモジュールと言ったものも登場。

 さらには、肩などに貼り付けるパットをケーブルでつないだマッサージモジュールなど、ジョークのようなものも登場しました。

背面のスプリングボードスロットにモジュールを装着できる。写真は、モデムモジュール

 通信関連としては、Visorから純正の有線モデムも用意されました。当時はPDAをワイヤレスではなく、RJ45ケーブルで接続してネットにつなげるだけでも便利なものだったのです。

 また、携帯電話を接続するモジュールも登場。日本ではザーコム(Xircom)がPDC携帯電話を接続するためのモジュールを販売していました(ザーコムは、その後インテルが買収)。

 そして、Visor単体で通信できる夢のモジュールとして登場したのが「Visor Phone」です。これはGSMの携帯電話モジュールで、実は通話専用機でデータ通信はできなかったようですが、Visorに装着するだけで電話アプリが起動。Visor内の電話帳からワンタッチで発信できる優れたデバイスでした。

 Visor Phoneにもバッテリーが搭載されており、連続通話時間は3時間、そして3日間の待受けが可能でした。装着すると本体上部がだいぶ出っ張りますが、Visorを耳に当てて通話する姿は、いまのスマートフォンを彷彿させます。

 ちなみに、このVisor Phoneを使わない時に、Visor Phoneを装着して単体の電話機にしてしまおうというアダプターも発売されました。しかし「だったらVisor PhoneをVisorに挿す意味はあるのか?」ということからか、全く売れなかったという話を聞きます。

 発売したのはLogitech(ロジクール)ですが、これは同社にとって黒歴史といえる製品だったようで、いまではネット上にその情報はほとんど残っていません。

 データ通信できるモジュールは、パーム用にも製品が出ていたCDPD方式対応の「Minstrel S」が登場。アメリカのキャリアのスプリントはCDMA対応の「Sprint PCS Wireless Web Digital Link」を発売するなど、Visorをスマートフォン的に使えるモジュールも続々と登場しました。

 スプリングボードの基本設計がしっかりしていたからこそ、このようなモジュールを設計することも可能だったのでしょう。

VisorをGSM携帯電話にしてしまう「Visor Phone」

 日本では、コンパクトフラッシュカードサイズのPHS「P-in Comp@ct」を装着するためのモジュールがハギワラシスコムから登場し、PHS回線を使ってのデータ通信が可能でした。

 PHSを内蔵したスプリングモジュール「SMARTCOM for VISOR」も2001年に計画されましたが、こちらは残念ながら製品化されずに終わっています。

スマートフォンの先駆け「Treo」の登場。そして、パームによる買収へ

 Visorはオリジナルの「Visor solo」のあと、ストレージを2MBから8MBに一気に拡大した「Visor Deluxe」、パームのカラーモデルよりも表示色数の多い「Visor Prism」などを立て続けにリリースしていきます。

 2001年にはスタイリッシュなアルミボディーでパームの「Palm Vシリーズ」の対抗とも言える「Visor Edge」を発売します。

 しかし、データ通信対応スプリングモジュールが好調だったからでしょうか、単体のPDAに見切りをつけ、携帯電話内蔵型のスマートフォンの開発を急ぎます。「SMARTCOM for VISOR」の開発中止も、その動きのあおりを受けたものだったかもしれません。

 そして2002年1月末に、携帯電話機能を内蔵した「Treo 180」「Treo 180g」が発売になります。フリップカバーを開くとカバーの先のスピーカーと本体のマイクを使って通話が可能で、そのスタイルはフリップ式の携帯電話のようでした。

 Treo 180はQWERTYキーボードを搭載、Treo 180gは従来のGraffitiを使う入力方法に対応し、このころはまだ入力方法はどちらにも分があったものと思われます。

 ディスプレーは、160×160ドットのモノクロタッチスクリーン。通信方式はGSMのデュアルバンド(900/1800MHzまたは850/1900MHz)でデータ通信も可能。これ1台でほぼ全てのことができる、スマートフォンの走りといえる製品だったのです。

Treo 180の登場はスマートフォン時代の幕開けを感じさせた

 ところで、TreoはVisorの特徴だったスプリングボードスロットを廃止しました。これは「ハードウェアを追加して機能を拡張するツール」から、「どこでもインターネットへ繋がるコネクテッドなデバイス」へと、ハンドスプリングが時代の流れを先読みしたからできた英断でしょう。

 おそらく、社内ではTreoの背面にスプリングボードスロットを搭載したモデルの検討もあったと思われます。しかし、TreoはVisorシリーズの資産と完全に決別し、全く新しいデバイスとして登場したのです。

 その後、通信モジュールを搭載しない「Treo 90」も発売されましたが、あまり話題になることはありませんでした。パームデバイスはもはや、インターネットに接続して使う端末であり、通信機能なしの製品に消費者は興味を示さなくなっていったのでしょう。

 なお、これ以降のTreoはすべてQWERTYキーボード搭載となり、Graffiti対応機は廃止されます。

 2002年5月には、ディスプレーをカラー化した「Treo 270」が早くも登場。カラーディスプレーはCSTN方式、4096色と発色は弱かったものの、カラーのウェブページを見たり、写真を表示したりと、Treoの使い勝手を大きく向上させました。

 8月にはCDMA版となる「Treo 300」が発表。アメリカなどのキャリア向けに発売され、Treoの人気を不動のものにしていきます。

 Treoシリーズの投入で、ハンドスプリングは通信キャリアという販路も手に入れていきます。

 それまではPCショップや家電店でしか販売できなかったPDAですが、スマートフォンになったおかげで通信キャリアからの注文も入るようになったのです。キャリア側も通信回線をセット販売できるTreoは売りやすい製品だったことでしょう。

 そして、2003年。デザインを一新し、機能を大幅に向上させた「Treo 600」を発表します。CPUはそれまでのDragonBall VZ(33MHz)から、OMAZ1501(144MHz)に、ストレージは32MBと倍増し、SDカードで2GBまで拡張可能。さらにはVGAカメラが内蔵されました。

 さらに、通信方式はGSMでクアッドバンド(850/900/1800/1900MHz)対応となりました。これまでのTreoの「全世界で使えない」「写真が撮影できない」という欠点を改良した夢のようなデバイスでした。

Treo 600の登場はパームを焦らせ、買収へと動かした

 Treo 600は、発表直後からスマートフォン市場で大きな話題となりました。そして、このTreo 600を手に入れるために、本家のパームがハンドスプリングの買収を決定したのです。

 これでハンドスプリングの短い歴史は終焉を迎えることになりました。とはいえ、その後のパームの主力製品はTreoシリーズとなったことからわかるように、ハンドスプリングの先進性の精神はパームへと引き継がれていったのです。事業不信による吸収合併ではなく、本家を超える優れた技術が本家に買収されたという、珍しい形での買収だったわけです。

 合体モジュール方式のVisor、全部入りのTreoと、わずか5年間の間だったとはいえ、市場に送り出した製品のほぼすべてがヒット作となるメーカーはなかなかありません。スマートフォンの歴史の中に、ハンドスプリングの名前はしっかりと刻み込まれているのです。

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