スマホメーカー栄枯盛衰~山根博士の携帯大辞典

iPhoneもどきで波瀾万丈となったMeizu(魅族)のスマホデビュー

文●山根康宏 編集●ゆうこば

2017年08月15日 12時00分

 ベースOSはWindows CE 6.0。同OSはスタイラスペン操作を主体としますが、M8は指先でタッチできる大きいアイコンを使ったUIを採用したのです。そのルックスはiOSに非常によく似ていました。しかも、本体デザインも当初はシルバーボディーで外見も初代iPhoneを強く意識したもの。

 最終的にはブラックボディーで登場しましたが、そのころ中国の山寨機(さんさいき)メーカーがこぞってつくり始めていたタッチパネルだけ似ていて中身は低機能なケータイという「なんちゃってiPhone」とは大きく異なり、M8はネットにもつながりアプリも入れられるスマートフォンだったのです。

 2008年3月にドイツで開催された展示会「CeBIT 2008」でメイズはM8の国際デビューを目論みましたが、なんと会期2日目にブースの閉鎖を命じられます。

 メイズは元々、MP3プレーヤーのメーカーでM8が最初のスマートフォン製品でした。CeBITにはM8のモックアップと、中国などで販売中のMP3プレーヤーを展示していたのです。そのMP3プレーヤーが著作権違反の製品だとドイツ警察から指摘を受けたのでした。

iPhoneを目指したM8だったが、グレーゾーンの製品のまま終わった

 しかし、これはヨーロッパ最大級の家電とITの展示会で、中国メーカーがモックアップとはいえ、iPhoneクローンを展示していたことに対しての警告・忠告だったと見られています。

 M8はたしかにiPhoneを意識したデザインでしょうが、四角いホームボタンには「M」の字を配置するなど、いま見ればiPhoneに似ているとは見えません。しかし、当時はこれくらいでも「そっくり」と言われたのです。

 とはいえ、メイズもiPhoneを意識して本体やUIのデザインしていたのでしょうから「たまたま」や「偶然」ではないでしょう。

 M8はその後、製造が難航し、製品が登場したのはそれから約1年経った2009年2月でした。しかし、今度は「本家」であるアップルが中国当局へM8に対するクレームを付けます。結局、2010年10月にメイズはM8の販売停止に追い込まれました。

 すでにアップルからはよりスタイリッシュかつ高性能になった「iPhone 4」が登場しており、M8はライバルでもクローンでもない存在だったのです。しかし、スマートフォン市場へ参入し、勢力を伸ばそうとしていたアップルにとって、類似品は徹底的に排除しなくてはならなかったのでしょう。

 なお、M8のスペックは3.4型480×720ドットディスプレー、メモリーは256MB、ストレージは8GBまたは16GB、SoCはサムスンのS3C6410、320万画素カメラを搭載し本体サイズは108×59×12mm、重量118gでした。

 発売開始直後の2か月で10万台を売るなど「メイズ・フィーバー」が巻き起こったものの、所詮はクローン品を目指したことが、あだとなってしまいました。

 M8で出鼻をくじかれたメイズですが、M8でWindows CEの改変に苦しんでいる間にグーグルからAndroidが登場します。

 M8の後継モデル「M9」はそのAndroidを搭載して2010年冬に登場しました。なおM8も末期はAndroidを搭載した製品が販売されたようです。

 M9のデザインはサムスンの「GALAXY S」ふうになりましたが、アップルが今度はサムスンを訴えていたせいか、あるいはM8の販売終了でよしとしたのか、このM9に関してはお咎めはありませんでした。

 ディスプレーサイズは3.54型ながらも解像度は640×960ドットで、GALAXY Sの4型480×800ドットより小型にもかかわらず高解像度でした。

 また、メモリーは512MB、ストレージは8GBまたは16GB、500万画素カメラは同じスペック。それにも関わらず価格は2499元でGALAXY SやiPhone 4より大幅に安かったのです。

AndroidになったM9の滑り出しは好調だった

 「中国メーカーが海外大手メーカーに匹敵するハイスペックかつ低価格なスマートフォンを出した!」。シャオミの初代モデルが登場した時と同じ熱狂が、実はその前の年のM9登場時、すでに起きていたのです。Androidを手にしたことで、メイズの再スタートは好調な出だしとなりました。

シャオミの陰に隠れるも、ハイスペックな名機を送り続ける

 しかし、M9の発売から約8ヵ月後、シャオミから初のスマートフォン、「Mi 1」が発表されます。

 ネットを使った「口コミマーケティング」や、限定台数を販売する「飢餓マーケティング」、そして何よりも当時最速のCPUを搭載しながら1999元という低価格でシャオミは大人気となります。メイズのM9はその陰に隠れる形となり、「中国新興スマートフォンメーカーの顔」の座を奪われてしまいました。

 それでも、翌2011年1月には3世代目のモデル「MX」を発売します。この製品は初めて中国大陸を出て、香港でも販売されました。

 オンライン販売を主体とするシャオミに対し、メイズは香港にも旗艦店を出しショップ販売も重視する従来型の販売スタイルを継続します。また、シャオミより価格は高めながらもスペックは上回っており、実店舗の存在はメイズの新機種をひと目見てみようという消費者にとっての情報発信所ともなりました。

 MXの価格は2999元で、SoCがサムスンのExynos 4(1.4GHz、デュアルコア)、メモリー1GB、ストレージ16GB、4型640×960ドットディスプレー、背面カメラ800万画素、正面カメラ30万画素といったスペック。OSはAndroid 2.3.5で、この時から自社UIを搭載した「Flyme OS」を採用しました。

 一方、シャオミのM1のスペックはSoCがクアルコムのSnapdragon S3(1.5GHz、デュアルコア)、メモリーは1GB、ストレージは4GB、4型480×854ドットディスプレー、背面カメラ800万画素、正面カメラ200万画素。MXのほうが高性能ですが、Mi 1の1999元という価格に消費者は飛びついていったのです。

 このMXは2012年6月にExynos 441(1.8GHz、クアッドコア)を搭載した上位バージョンが投入され、さらにはデュアルコアCPU版もExynos 4212(1.5GHz)へパワーアップして再登場しました。

 ライバルのシャオミは半年を過ぎると廉価版を出し、次の新製品に備える戦略を取りましたが、メイズは逆にスペックを常に最新のものとし、常にハイエンド製品で勝負していったのです。

Meizuの製品はパッケージも美しい。スペックをあげFlyme OSを採用したMX

 同年の12月には新製品「MX2」を発表。価格は最低モデルを2499元と従来よりも引き下げました。チップセットはExynos 4412(1.6GHz、クアッドコア)、メモリー2GB、ストレージは16/32/64GBの3モデル。

 ディスプレーはアスペクト比16対10の4.4型800×1280ドットで、MX同様にメイズは他社と異なる画面形状を好むようです。カメラは背面800万画素、正面200万画素、OSはAndroid 4.1ベースのFlyme OS 2.0を採用しました。

 翌2013年には、新製品の投入ペースを速めて9月2日に「MX3」を発表します。シャオミの「Mi 3」の発表会が9月5日だったことから、それに真っ向からぶつける格好となりました。

 MX3はMX2をさらにパワーアップし、チップセットはサムスンExynos 5410、メモリーは2GBとなり、ストレージは16/32/64GB/128GBと4タイプを用意。128GBのストレージ搭載製品はMX3が世界初となります。ディスプレーは5.1型と大型化され、解像度は1080×1800ドットと今回も他社にはないものとなりました。

 OSはAndroid 4.2ベースのFlyme OS 3.0へとバージョンアップ。価格は16GBモデルが2499元。このモデルだけは価格を下げるためにNFCが非搭載となっています。

 同じ9月に登場した「iPhone 5s」はゴールドモデルも加わり、中国では熱狂的な人気となります。しかし、メイズのMX3もスペックの高さから注目を集めます。MX3の本体カラーはホワイト、ブルー、ピンク、オレンジ、グリーンと、MX2までのモノトーンから雰囲気を変えカラフルになりました。

 これは「iPhone 5c」への対抗の意味もあったのかもしれません。ライバルであるシャオミも「Mi 3」で本体デザインを変えると共にカラーバリエーションを増やしており、このころはiPhone 5cが中国メーカーの強敵になると各社は考えていたようです。

シャオミに発表をぶつけてきたMX3。前評判通りの高性能機で人気となる

 MX3はそのスペックの高さから、Ubuntu OSモデルも登場しました。第3のOSとして低価格モデルにシフトしていたFirefox OSと違い、Ubuntu OSはAndroid代替となる高性能なスマートフォンを目指していたのです。メイズとUbuntuの関係はその後、数モデルに渡って続くことになります。

 また、ヨーロッパではオンラインストアを開設し、MX3の販売を開始しました。高コストパフォーマンス・中国中心展開のシャオミに対し、メイズはハイスペック機でグローバル市場に出ていきました。その戦略の差が翌年に明暗となって現れるとは、この時誰も予想していなかったことでしょう。

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