「ライブ配信メディア完全解剖 〜過去と今、そして未来へ〜」

個人が生放送/ライブ配信をする心理 「目立ちたい」から変わりつつある

文●ノダタケオ(Twitter:@noda

2017年11月25日 12時00分

ライブ配信は「目立つ」場から「自己主張(自己表現)」の場へ

 ライブ配信メディアの黎明期(おおむね2010年から2015年ごろまで)はライブ配信そのものがもの珍しい時代でした。私自身、テレビやラジオと同じように、電波が届く範囲の限界を超えて、インターネットさえ接続されていれば映像や音声を伝送して情報を発信できることに大きな魅力を感じていました。その結果「UstToday」というライブ配信メディア上の番組を作り、決まった時間にライブ配信をするようになりました。

 その当時(そして、今においても)はライブ配信をはじめたきっかけは「個人が情報発信できる」ことに魅力を感じてはじめたものだと思っていますが、よくよく考えてみると、それは結果的にライブ配信というもの珍しい仕組みを使って自分自身を「目立ちさせたい(知名度をあげたい・認知されたい)」という目的もあったのかもしれません。

 これは私たちだけでなく、黎明期からライブ配信メディアに接してきた多くの人は(悪く言えば)「目立ちたい」が心の奥底の根幹にあったのかもしれません。極端なことを言えば、ライブ配信に限らず、YouTubeのような動画メディアにおいても、YouTuber(YouTubeクリエイター)が人気や話題を集めるために過激な内容を作り出すことによって、多くの人の目に触れてもらう(再生数へつなげる)ような行為がメディアで話題となる一方、「炎上芸によって話題を集めることは良くないよね」という流れになってきていることは周知の通りです。

 それは結果的に規制にもつながりますし、炎上芸はできることに限界があります。その瞬間は話題に挙がるかもしれませんが、みんながやり尽くしてしまえば、結果的に、それはライブ配信メディアにおいても、動画メディアにおいても、長期的に見れば損(不利)にしかならない。そうした経験は、黎明期からこれまでにおける、これらのメディアで活用している人たちの共通認識となりつつあるように感じます。

 全盛期に入った近年では、ライブ配信メディア単体のプラットフォームだけでなく、TwitterやFacebook、Instagramといったソーシャルメディアにもライブ機能が実装されたことによって、スマートフォン一台で手軽にライブ配信をすることが可能になり、当たり前のものとなりました。これまでは「テキスト」「写真」が主体であったソーシャルメディアによるコミュニケーションの手段は「動画」「ライブ配信」が加わったことによって、ライブ配信のもの珍しさは無くなり、ライブ配信は「目立つ」ための場から「自己主張(自己表現)」をする場へと変わっているのではないでしょうか。

テレビと同じで「コンテンツ力」はライブ配信にも求められる

 黎明期からの歴史(経験)によって、ライブ配信メディアに関わる私たちがわかったことは「(いわゆる)炎上芸によって話題を集めることは望ましくない」ということと、もうひとつに「目立ちたいだけではコンテンツにつながらない」ということ。

 先行の利によって炎上をすることで人気を集めることができたとしても、よく見てみると、その内容そのものはコンテンツへつながっていない(つながっていなかった)ように感じます。これはライブ配信や動画メディアに限らず、いわゆるブロガー(ブログ)の世界でも同じ。炎上をすることによって、一時的な世間の関心や話題を呼ぶことは間違いありませんし、短期的に認知度はあがるかもしれません。ただ、長期的に見れば、炎上をずっと続けていくことは不可能ですし、コンテンツがないから結果的には継続的なファンも得られないと思うのです。

 とはいえ、今でも「目立つ」ことによって人気を得ようとする人はもちろん存在しますが、やはり、昔のようなライブ配信するだけでもの珍しい時代は終わったことは確実です。そして、いまのライブ配信にはテレビと同じようにコンテンツ(内容)が成立しないとファンは継続的についてきません。さらに、いまでは「投げ銭」というライブ配信者が視聴者からお金を投じる仕組みが増えてきたことによって、これまで無かったマネタイズの手段も生まれようとしています。その仕組みそのものが登場することについてはとても歓迎すべきところですが、結局、投げ銭でマネタイズをするためにはコンテンツが無くては意味がありません。いまのうちにコンテンツを確立しなければ、今は良くても、将来的にはコンテンツ(内容)が無ければ、投げ銭をする人も次第に減ってくるのかもしれません。

 そういった意味では、これまでの「目立つ」ことによってたくさんの人を集めていった時代から、「自己主張(自己表現)」によってコアな人を確実に継続してファンとなってもらうことがこれからの個人のライブ配信者には求められてくるチカラであると思うのです。

 いまライブ配信が「個 対 多」から「個 対 個」へ移ってきているということを第62回記事でも触れていますが、これまでは「目立つことによって多くの人に見てもらう」ことを目指してきた個人のライブ配信であったものの、いまでは「伝えたい・見てほしい(視聴者)は誰でもいい」という時代でなくなりつつあります。「ゲームが好き」「音楽が好き」もしくは「その人が好き」でも良いのですが、同じ内容(共通話題)によって「つながっていく」。自分の感性に共感してくれる人は欲しいけど、その数は多くなくていい。その配信者自身の趣味や関心、キャラクターなどの個性によってファンを集めるのが、これから主体となる個人のライブ配信の流れとなっていくように感じます。

コンテンツ力がないときはどうするか?

 個人のライブ配信は「目立つ」ための場から「自己主張(自己表現)」の場へと変わり、さらに、その人ならではの「コンテンツ」がないと継続したファンを得ていけないということは、これまでのライブ配信における歴史(経験)によってある程度共通の認識が作られつつあります。

 しかし、これからライブ配信を始めたいという人は千差万別。商品やサービスをもつ企業や、アイドルやタレント・アーティストのようになんらかの「芸」をもつ人にとってはライブ配信は「プロモーション」「ブランディング」としてとても親和性がありますが、ソーシャルメディアのフォロワーもいないし、趣味・関心も持っていない。でも、身近な友だちがライブ配信をしているところを見て、自分自身もライブ配信をやってみたいと考える人はきっと少なくないでしょう。

 結論から言うと、ライブ配信を始めた直後は「コンテンツ(内容)」は無くても良いと思います。それはライブ配信に限らず、ブログも同じです。ブログも「まず立ち上げて、なんでもいい(雑記ブログでもいい)から書いてみる」。雑記ブログのように、ライブ配信「雑談」からはじめてみても良いのです。「コンテンツ」というと大層な気がしますが、テーマがひとつでもあればどうにでもなってしまうのです。そして、ライブ配信そのものを継続していくことによって、雑談から始まったライブ配信は結果的に自分が得意とする分野でのコンテンツが生まれてくるはずです。

 一人でライブ配信をするのが心細ければ、いまでは「コラボ配信」もあります。自分と興味関心が共通の人を巻き込んでいくことによって、それが結果的にコンテンツへと変わることも。

 スマートフォン一台で手軽にできるライブ配信はいまやハードルが高いものではなくなりました。「自己主張(自己表現)」の場として、多くの人とつながっていくことができるライブ配信は「つながりたい」という欲求を満たしてくれるもの。TwitterやFacebook、Instagramのようなテキストや写真だけでなく、違ったコミュニケーションの形が、個人のライブ配信の魅力であると言えると思うのです。

ライブメディアクリエイター
ノダタケオ(Twitter:@noda

 ネット番組の企画制作・配信、ライブ配信メディアとソーシャルメディア関連の執筆などその活動は多岐にわたる。イベント等のマルチカメラ収録・配信や、自治体・企業におけるソーシャルメディアを活用した情報発信サポート業務などもこなす。タイ王国とカフェ好き。

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