ASCII倶楽部 2017倶楽部レポート オブ ザ イヤー

Xperiaの生みの親ソニー・エリクソンが解体され、現代に受け継がれたもの

文●山根康宏 編集●ゆうこば

2018年01月05日 18時00分

 ちなみに当時「Xperia」の名前はスマートフォン向けとしてではなく、最新技術を搭載したモデルにも付けられました。Xperia PurenessはXperiaシーズで唯一のフィーチャーフォン。透明モノクロディスプレーを採用した前衛的な製品でした。

 また、Windows MobileはX1の後継モデル「Xperia X2」を発売。さらには手っ取り早くアプリ環境をユーザーに提供する端末として、Symbian S60を搭載した「Satio」も提供します。

 同OSは当時ノキアが採用するスマートフォンOSの中で最大シェアを誇るもので、数多くのアプリが提供されていました。最新のSymbian S60 Rel5はタッチパネル対応で、見た目だけでもiPhoneキラーと言える製品だったのです。

Symbian S60を採用した「Satio」

 なお、このころに日本向けにはauから「Walkman Phone, Xmini(W65S)」を発売するなど、ソニー・エリクソンは音楽やスタイルに特化した携帯電話を投入していました。しかし、2009年にはスマートフォンへの移行の動きからか、ドコモ向けには新製品はゼロ。脱「ケータイメーカー」の動きが始まります。

 2010年にはその日本で初のXperiaとなる「Xperia SO-01B」を発売します。前年登場のグローバル向けモデル「Xperia X10」の日本向けモデルです。

 周波数対応のカスタマイズなどされましたが、おサイフやワンセグなど日本独自の機能には非対応。それでもソニー・エリクソンから登場したAndroidスマートフォンと言うことで大きな支持を受けました。

 海外ではXperia X10を各国で次々とリリースし、好調な滑り出しとなります。Androidスマートフォンとして、他社よりもスタイリッシュなデザインも人気となり、ソニー・エリクソンは製品ファミリーを拡大。

 2.55型と超コンパクトなディスプレーを採用した「Xperia X10 mini」、それにスライド式キーボードを内蔵した「Xperia X10 mini pro」を立て続けに投入していきます。Xperia=Android、という図式が確立していきます。

 一方、Windows MobileはX1、X2とも大きな話題にはなりましたが、アプリの少なさなどもあり、販売数は伸び悩んだようです。2010年にはBlackBerryスタイルで縦型QWERTYキーボードを搭載した「Aspen」を投入しますが、これが同OS搭載の最後の製品となりました。

 また、横スライド型のQWERTYキーボード搭載機はSymbian OS機に移行。タッチパネルのみ搭載の「Vivaz」、それにキーボードを搭載した「Vivaz pro」の2モデルを投入します。

 しかし、Symbian OSもこの2機種で終了。翌年以降、ソニー・エリクソンはスマートフォンOSをAndroidへ一本化します。

BlackBerryスタイルの「Aspen」。Windows Mobile機はこれで終わりとなる

Xperiaファミリーの拡大、そしてソニーの完全子会社へ

 ソニー・エリクソンは日本にも積極的にスマートフォンを投入していきます。ただし、日本ではまだ独自機能の利用が多かったために、日本向けのモデルは海外とは異なる機能を搭載する必要がありました。

 たとえば2011年にドコモ、au向けに発売された「Xperia acro」は、グローバルの「Xperia arc」に赤外線、ワンセグ、おサイフ機能を搭載。これにより、日本国内でのXperiaシリーズの人気がさらに高まっていきます。

 グローバルでは新製品のほとんどがXperiaとなり、フィーチャーフォンの開発はほぼ終了します。ゲームパッドを備えた「Xperia Play」や、薄型でスリムな「Xperia ray」などの名機が登場したのもこの2011年です。

 コンパクトなminiモデルも「Xperia mini」「Xperia mini pro」とシンプルな名前でそれぞれ後継モデルを投入。ソニーらしいバリエーションに飛んだ製品ラインナップは、Xperiaのブランド認知度を広めていきます。

ソニー・エリクソンならではのゲーミングスマートフォン「Xperia Play」

 このようにAndroidスマートフォンのラインアップを拡大していったものの、ソニー・エリクソンの業績は悪化の一方をたどっていきます。

 2008年の世界の携帯電話シェアは、2位サムスンが1億9932万台、3位LGが1億280万台、4位モトローラーが1億652万台、5位ソニー・エリクソンは9311万台。ソニー・エリクソンは3位グループの1員だったのです。

 ところが、2009年になるとサムスン2億3577万台、LG1億2201万台と韓国上位2社が販売数を伸ばしたのに対し、モトローラは5848万台、ソニー・エリクソンは5487万台とそれぞれ販売台数を半減させます(いずれもガートナー調査)。

 2008年から2009年にかけて、アップルは1億1142万台から2億2490万台へと1億台以上も販売数を伸ばしており、モトローラとソニー・エリクソンの純減分はすべてアップルに持っていかれたとも言える状況でした。

 ソニー・エリクソンとしては、スマートフォンOSをもっと早くAndroidに統一し、製品バリエーションを増やすべきだったかもしれません。しかし、Xperiaシリーズをようやく強化したころには、もはやサムスンとLGの後姿すら見えなくなってしまったのです。

 2010年のソニー・エリクソンの販売台数は4182万台。順位こそ6位ですが、シェアはわずかに2.6%で、4660万台を販売したアップルについに抜き去られます。

 ソニー・エリクソンのスマートフォンは日本では一定の人気を得ることに成功しましたが、海外では存在感を年々失っていったのです。

ビビッドな色合いにキーボードを組み合わせたXperia pro。製品開発の苦悩が現れた一品

 2011年10月27日に、ソニーとエリクソンは衝撃的な発表をします。それはソニー・エリクソンの解体でした。

 エリクソンは同社の株式をすべてソニーへ売却し、ソニー・エリクソンは新たにソニーモバイルとして生まれ変わることになったのです。

 エリクソンとしては基地局などのインフラビジネスの新規投資や競争激化により、利益の望めない端末事業に関わっている余裕が無くなったのでしょう。また、ソニーとしては、合弁会社のブランドでは積極的な製品PRがやりづらいというところもあったかと思われます。

 2011年は合弁事業解消もあり、夏以降に新製品の発表はありませんでした。最終的に同年の端末販売台数は前年をさらに下回る3260万台まで落ち込んでしまったのです。マーケットシェアもHTCやファーウェイ、ZTEにも抜かれ1.8%まで下がりました。

 一時はWalkmanケータイやCyber-shotケータイなど、高性能フィーチャーフォンで一世を風靡したソニー・エリクソン。しかし、スマートフォン事業の本格展開の出遅れが大きな痛手となりました。

 とはいえ、エリクソンはインフラへ集中、ソニーはスマートフォンへ専念できる環境が整ったわけです。約10年間の両者の合弁事業は決して無駄だったものではありません。数々のヒット商品や名機など、ソニー・エリクソンは世界のスマートフォン市場に大きな資産を残していったのです。

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