スマホメーカー栄枯盛衰~山根博士の携帯大辞典

iPhone登場でとどめを刺されたベンキュー・シーメンス悲劇の合併

文●山根康宏

2018年04月22日 17時00分

 2006年からベンキュー・シーメンスはフィーチャーフォンとスマートフォンを販売していきます。スマートフォンはWindows Mobile 5.0をOSに採用した「P51」が投入されました。縦型QWERTYキーボードを搭載した製品で、ディスプレーは2.4型320x240ドット、1300万画素カメラを搭載していました。ブラックベリースタイルの端末が好まれていた時代で、ビジネスユーザーも意識した製品だったのです。

QWERTYキーボード搭載のP51

 しかしこの端末は、2004年にベンキューが台湾などで発売した「P50」のマイナーチェンジモデルにすぎませんでした。買収のさなかに新モデルの開発が間に合わなかったのかもしれませんが、他社もスマートフォンを強化する中で、P51は目新しさを感じさせてくれる製品ではありませんでした。

 ベンキュー・シーメンスはむしろフィーチャーフォンを得意としていました。フリップを閉じると大きな音楽再生操作ボタンが搭載されていた「EF51」はiPodへの対抗製品として考えられたもの。当時はまだ音楽は本体に保存して楽しむものでしたから、スマートフォンではなくフィーチャーフォンベースの製品でも十分競争力があったのです。

 またヨーロッパで始まったモバイルTV放送「DVB-H」対応のフルタッチフォン「S65」も計画されました。アプリ追加はできなかったようですが、タッチパネル対応で内蔵アプリを指先操作できたようです。コンセプトに終わったものの、成功していればスマートフォン開発へはずみがついたことでしょう。

スマートフォンライクなS65はモバイルTV対応だった

 ベンキュー・シーメンスとなって最初の年、2006年は実に20機種ちかくのフィーチャーフォンが計画・発売されました。ところが販売数は全く伸びず。市場には在庫の山が積み重なっていったのです。

経営破綻とiPhone登場がとどめを刺す

 ベンキュー・シーメンスの端末はどれくらい売れたのでしょうか? 2006年の携帯電話シェアを見ると、1位ノキア(34.8%)、以下モトローラ(21.1%)、サムスン(11.8%)、ソニー・エリクソン(7.4%)、LG(6.3%)と続きます(ガートナー)。サムスンとLGはシェアは微減していますが、販売台数は増加。世界の携帯電話市場は2005年の8億1656万台から、2006年は9億9086万台へと伸びていたのです。一方、ベンキュー・モバイルの2005年の販売台数は3969万台でしたが、2006年は2356万台とへと40%近くも急落してしまったのです。シェアも2.4%と上位から大きく引き離されてしまいました。

 ソニー・エリクソンが誕生した2001年と、ベンキュー・シーメンスが生まれた2006年とでは市場環境が大きく異なっています。そのため直接の比較はできません。とはいえソニー・エリクソンの成功は「製品の絞り込みと選択」がもたらしたものでした。合併直後、ソニーラインの製品はすべて廃止し、開発中のモデルも中止。エリクソンプラットフォームへ統一しました。そしてその後からソニーのブランド・技術を使った「ウォークマン」「サイバーショット」シリーズを出し、ソニー色を強めながらブランド力を高めていったのです。

 ベンキュー・シーメンスはシーメンス時代からの雑多なモデルをそのまま引き継ぎました。A/AL/C/CL/CF/E/EF/EL/P/S/SLと、型番だけでも10種類強にもなります。そしてここにベンキューからの製品が加わりました。もともと違うデザインテイストの製品が同じブランドで市場に投入されてしまったのです。これでは消費者に混乱が起きても仕方ありません。しかも台湾などではベンキューブランドの端末も継続販売。グローバル視点でのブランディングに疑問が残る展開でした。

 とはいえベンキュー・シーメンスの製品はデザインの良い製品が多く、レッドドット・ デザイン賞やIFデザイン賞など、数多くの国際デザインコンペで賞を取っています。例えば「EF81」はマグネシウムやステンレスをボディーに採用、2メガピクセルカメラ搭載の薄型3Gフィーチャーフォンで、世界的に人気となったモトローラのMOTORAZRこと「V3」に並ぶ美しい端末でした。

金属素材をふんだんにつかったスタイリッシュなフィーチャーフォンEF81

 2006年10月にはベンキュー・モバイルが破産を宣告。実はベンキューがシーメンスの携帯電話部門を買収した時点で、シーメンス側は5億ユーロの赤字をかかえていたと言われています。1年でそれを好転させるだけの新製品を出すことは難しく、旧シーメンスの事業に対してベンキュー・モバイルの親会社のベンキューは見切りをつけてしまいました。ドイツの工場も閉鎖となり、ベンキュー・シーメンスの製品はベンキューのアジアの工場で製造されることになったのです。

 そして2007年。1月9日にアップルがiPhoneを発表すると、世界中の消費者の関心が一気にiPhoneへ集中します。当初はアメリカのみの発売だったにも拘わらず、世界中から自国への販売への期待が高まっていったのです。手のひらで自由にインターネットを使え、しかも音楽も楽しめる夢のマシンに対し、他のメーカーはスマートフォンの強化でiPhoneへ立ち向かっていきました。

 ベンキュー・シーメンスは2007年にフィーチャーフォンを5機種投入します。しかしiPhoneの話題に対抗できるようなスマートフォンを出すことはできませんでした。そしてこの年でベンキュー・シーメンスのブランドは消滅してしまいます。

iPod対抗のEF51。これをスマートフォン化すればiPhoneのライバルになったかもしれない

 「ブランド名をシーメンスにすれば」「製品ラインナップの大胆な統廃合をすれば」など、やり方を変えれば結果は変わったかもしれません。ODMからの脱却を図ったものの、自社ブランド製品のノウハウ不足も敗因でした。しかしiPhoneには巨人・ノキアですら対抗することはできなかったのです。ベンキュー・シーメンスの運命も、iPhoneの前に尽きるのは当然の結果でした。

 次回はシーメンスを買収するほどの勢いを一時は持っていたベンキューの歴史を見ていきましょう。

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