スマホメーカー栄枯盛衰~山根博士の携帯大辞典

スマートフォンの元祖は実はIBMが作っていた

文●山根康宏

2018年07月29日 19時30分

 1994年に発売されたSimonは単体で通信できることから、今のスマートフォンの元祖と言える存在なのです。

世界初のスマートフォンと呼べるSimon

 SimonのOSはDatalight製のMS-DOSコンパチブルなROM-DOSを採用しました。しかしDOSプロンプトを使うUIではなく、アイコンを並べたGUIとし、スタイラスペンでの操作を可能としました(ディスプレーは感圧式のため、指先でもある程度の操作が可能です)。アプリの追加も可能であり、さらに通信回線を内蔵していたことからスマートフォンの元祖と呼ばれるわけです。

 本体サイズは200x64x38mm、重量は510gと自動車電話並みでしたが、4.7型(縦4.5x横1.4インチ)293x160ドットの大型モノクロディスプレーを搭載。ディスプレーにはアイコンが2x8=16個まで表示できたようです。CPUはNECのV30HL、メモリ1MB、ストレージ1MBで2MBまで拡張可能、PCMCIAカードのストレージメモリも利用できました。バッテリーはニッカドで連続使用時間はわずか1時間、製品には2本のバッテリーが付属したとのこと。製造は三菱電機で、当時小型のモバイル機器を作れるメーカーとして日本企業は存在感を示していたのです。

 内蔵アプリはAddress Book、Calculator、Calendar、Fax、Filer、Mail、Note Pad、Sketch Pad、Time、To Doで、当時としてはFAXの送受信ができるだけでも最強のモバイルツールだったでしょう。

 通信回線はアナログのAMPSを利用。当時同サービスを提供していたアメリカのキャリア、ベルサウスがSimonを販売しました。とはいえ通信料金は高く、カバレッジもまだアメリカの一部でした。そのためSimonにはRJ11アダプターも販売され、オフィスや家庭、そして携帯電話圏外では固定電話回線を使うこともできたのです。他にはモトローラ製のページャーカードや、PCとつなぐためのRS232アダプターも販売されました。

Simonの当時のカタログ

 Simonが販売されたのは1994年8月16日から1995年の2月まで、わずか半年でした。販売はアメリカの通信キャリア、ベルサウスのみで、ほかのキャリアへの採用は進みませんでした。単体価格は1099ドル、ベルサウスとの2年契約で899ドル(のちに599ドルに値下げ)。販売台数は5000台で、大々的な次世代モバイル製品というよりも、市場の反応を確認するための製品で留まってしまいました。

PHS内蔵Palm機を出すも、コンシューマー市場から撤退

 Simonの登場後、パーム(Palm)から画期的なPDA「Palm Pilot」が登場します。それまでのPDAは片手でようやく持てる大きさで重量もありましたが、パームの製品はその名前のように手のひら(Palm)に乗る超小型サイズだったのです。しかもPalmOSのUIはシンプルで使いやすく動作も機敏、手書きはアルファベットを書くのではなくそれを簡略化したGraffitiを採用し、スタイラスペンでスラスラと文字を書くことが可能でした。

 IBMはそのパームに目をつけ、1997年からOEM供給を受けビジネスユーザー向けのPDAとして「WorkPad」のブランドで販売します。金属ボディーになった「WorkPad c3」はボディーの黒い色とIBMの青いロゴがプロユースの高級モデルという印象を与えてくれました。

本家パームとは異なるカラー、ロゴのWorkPad。日本でも発売された

 そのWorkPadの中で異色の製品が、「Palm Ⅲx」ベースの「WorkPad 30J(8602-30J)」 の派生モデル、2000年に日本で発売された「WorkPad 31J(8602-31J)」です。すでにPDAとして多くのユーザーに支持を受けていたパーム端末が、単体で通信できる画期的な製品でした。しかもドコモと旧アステルとの契約が可能で、回線を自由に選ぶことができる点も優れていました。2018年の今ならばSIMカードを入れ替えれば済むでしょうが、当時はまだ日本にはSIMは存在せず、また格安なデータ通信料金はPHSキャリアが提供していました。

 WorkPad 31Jは当初ビジネス市場向けに販売されたものの、追って一般消費者向けにも提供されました。しかし後継モデルが出てこなかったことから、当時の通信環境ではPHS内蔵は大きな売りにはならなかったようです。WorkPad用にもう1回線契約するよりも、手持ちのPHSや携帯電話とパーム機を接続して通信するユーザーが多かったのでしょう。赤外線を内蔵したドコモの携帯電話、ノキア「NM207」「NM502i」がパーム機のモデム代わりとして人気もありました。

WorkPad 31Jの内蔵PHS

 なお蛇足ですが、WorkPadシリーズの中でも1999年に発売された「WorkPad z50」は毛色の異なる製品です。OSはWindows CEで、小型ノートPCライクなQWERTYキーボードを備えた製品でした。IBMはパームでオフィス向けのモバイル製品を拡充しつつ、PCとの連携も容易なWindows CEの可能性にも魅力を感じていたのでしょう。しかし同OS製品はこの1モデルのみで終わりました。

 2004年にIBMはパーソナルPC部門をレノボに売却します。WorkPadへの進出は、実はパソコン事業の不振を回復させる目的もあったのでしょう。PCとモバイルの連携による「どこでもオフィス」をIBMは提案したかったに違いありません。しかしIBMが選択したPalm OS、Windows CE/Mobile OSは、2002年にモバイル市場にSymbian OSが登場すると主役の座を奪われてしまいます。ノキアがモバイル市場の牽引車となると、WorkPadでは太刀打ちできなくなってしまったわけです。

 Simonの後継機をIBMが本気で作っていたら、今のスマートフォン市場のパワーバランスは大きく異なるものになっていたかもしれません。IBM PCのようにSimon互換機が多数登場し、PCメーカーがスマートフォン市場をけん引していたかもしれないのです。とはいえ当時のアナログ回線ではスマートフォンと呼べる製品を誰もがストレスなく自由に使うことは難しかったでしょう。IBMの果敢なチャレンジ精神は、スマートフォンの歴史の中で決して忘れてはならない1ページなのです。

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