スマホメーカー栄枯盛衰~山根博士の携帯大辞典

マイクロソフトと喧嘩別れか イギリスのスマホメーカー・Sendoの歴史

文●山根康宏

2019年04月26日 17時00分

 2001年2月にフランス・カンヌで開催された「3GSM World Congress(今のMWCの前身) 2001」で、マイクロソフトとSendoは共同でStingerOS搭載のプロトタイプ端末を出展。翌2002年3月にドイツ・ハノーバーで開催されたCeBIT2001ではSmartphone 2002 OSを搭載した初のスマートフォン「Sendo Z100」の試作機が展示されました。

 Sendo Z100の主なスペックは本体サイズが126x48x17mm、2.2型220x176ドットディスプレーにカメラは非搭載。見た目は普通のフィーチャーフォンですが、中身はインターネットに接続できる高性能な携帯端末なのです。日本のiモードは携帯電話をインターネット端末に変えたものの、閉じた世界のものでした。マイクロソフトはこのZ100で携帯電話を「オープンなインターネット接続端末」とし、新しいビジネスチャンスをつかもうと考えたのでした。

 ちなみにZ100の発表の数か月前、2001年11月にノキアは初のSymbian S60(当時はSeries 60)OS搭載スマートフォン、「Nokia 7650」を発表し大きな話題となります。Z100はその7650に真っ向から対抗するライバル製品でもあり、Z100の発表は「ノキア VS マイクロソフト」の本格的な競争の幕開けを予感させるものでした。

 さて2002年も夏を過ぎると、消費者のみならず各メーカーはZ100がいつ出てくるかを期待と不安を抱きながら待つ日が続きました。そして11月、マイクロソフトが正式にSmartPhone 2002スマートフォンをアナウンスします。ところがその最初の製品はSendo Z100ではなく、フランスのキャリア、オレンジがイギリスで発売する「Orange SPV 100」だったのです。しかもこのSPV 100はHTCが製造開発しました。

Sendoの代わりに世界初のSmartPhone 2002 OSを搭載した端末はOrange SPV 100だった

マイクロソフトの「造反」なのか?ノキア陣営へ乗り換えを図る

 HTCは当時まだODMメーカーで、自社ブランドの製品は販売せずにHPなど大手メーカーのPDAを手掛けていました。携帯電話内蔵のPDAタイプのスマートフォンは開発コード「Wallaby」で呼ばれていたO2の「XDA」をようやく市場に投入したばかり。携帯電話機能内蔵の製品はほかになく、ましてやSmartPhone 2002タイプのフィーチャーフォンスタイルの端末はHTCにとって新たなチャレンジを必要とする製品でした。そのHTCがSPV 100を投入したことに市場は驚いたのです。

 ではSendoはこのSPV 100対抗として、Z100をすぐに市場に投入したのでしょうか?同社の動きに注目が集まる中で、なんとSendoはZ100の開発中止を突如発表します。その理由には触れられませんでしたが、翌12月にマイクロソフトを訴えたことで理由が明らかになりました。それは「Z100の開発を通じ、マイクロソフトは携帯電話型のSmartphone 2002端末の製造ノウハウを他社に提供した」というもの。すなわちHTCのSPV 100は、Sendo Z100の開発技術が盗まれたとSendoは主張したのです。マイクロソフトが2001年にSendoに出資したのも、HTCにSmartphone 2002端末を作らせるためのものだった、とSendoは訴えたわけです。

 もちろんマイクロソフトは否定しますが、結局2003年にSendoからの出資を引き揚げると発表。Sendoはマイクロソフトのパートナーではなくなり、スマートフォンOSとしてノキアが採用したSymbian S60(当時はSeries 60)に鞍替えしました。両社の蜜月関係は突如終わり、喧嘩別れしてしまったわけです。

 Sendoは翌年2003年夏に初の同OSスマートフォン「Sendo X」をリリース。2.2型ディスプレーはZ100と同じものを採用し、これはノキアのSymbian機の2.1型より大型でした。またNokia 7650はスライドボディー、2機種目の「Nokia 3650」はアナログ電話を思い起こさせる10キーが円周状にならんだデザインで、どちらも本体サイズは大柄でした。一方Sendo Xは本体サイズが110x49x23ミリと一般的なフィーチャーフォンと変わらぬ小型モデルだったのです。

Symbian OSに乗り換えたSendo X

 Sendo Xはノキアと共にSymbianスマートフォンを盛り上げる存在になるはずでした。ところがすでにノキアは携帯電話の市場シェア35%を握る巨人だったのです(ガートナー調査)。つまりブランド力の弱いSendoのスマートフォンは、ノキアの陰に埋もれた製品となってしまい全く目立たない存在になってしまいました。しかもSendo Xと同じ時期に発売された「Nokia 6600」が大ヒットを飛ばします。「スマートフォンと言えばNokia 6600」と、まるで今のiPhoneのような注目を集め、他社のスマートフォンの存在をないものにしてしまうほどでした。

 勢いに乗るノキアは2004年、一気に4機種のSymbianスマートフォンをリリースし、スマートフォン市場での強さを強固なものにしました。一方Sendoは後継機を出す余力もなく、フィーチャーフォンをリリースして販売数確保に動きますが、業績は悪化していく一方でした。

 2005年にはSymbianスマートフォンの後継モデル「Sendo X2」がアナウンスされましたが、本体デザインの変更以外はカメラがメガピクセルになった程度で、通信方式は2Gのまま。すでにノキアをはじめ各社のスマートフォンが3Gに対応している中で、2G回線しか使えないスマートフォンでは、発売前から勝負にならないことは明らかでした。そしてこのX2を出す前に、Sendoの経営は行き詰ってしまったのです。

 最終的にSendoはモトローラが買収。特許や開発者などの資産を手に入れたものの、Sendoブランドは引き継がれませんでした。その結果SendoブランドのスマートフォンはSendo Xの1機種だけで終わってしまいました。

発売されなかったSendo X2

 マイクロソフトと夢のある将来をみたものの最後は喧嘩別れしてしまい、ノキア陣営に乗り換えたもののそのノキアに追いつけなかったSendo。しかし乗り換え先のノキアが10年以上あとにマイクロソフトに吸収されるなど当時はだれも想像できなかったでしょう。

 ちなみにこうして振り返ってみると、マイクロソフトは携帯電話の歴史の中で成功はできなかったものの、複数のメーカーを翻弄しつづけた、実は影の大きな影響者であったと言えるのかもしれません。創業から10年も持たずに消えていったSendo、もはや忘れ去られた存在ですが、スマートフォン黎明期に市場を大いに盛り上げたプレーヤーの1人だったことは紛れもない事実なのです。

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