それはHPの「OmniGo 700LX」です。「LX」の名前を見てピンと来た人がいるかもしれません。OmniGo 700LXは1990年代に各国で人気となった、MS-DOSの動く、手のひらに乗る超小型PC「HP 95LX/100LX/200LX」の流れをくむ製品です。基本的なスペックは200LXと同等、OSもMS-DOSが動作します。
LXシリーズが販売数を伸ばしていたころ、1994年に発売となったノキアの携帯電話「Nokia 2110」も世界中で大ヒットし、LXシリーズと接続してモバイル通信をするユーザーが激増しました。
この2110は当時としてはスリムでスタイリッシュな携帯電話で、派生モデルも多数生まれ日本でも同型機が登場したほど。そこでHPとノキアは協業し、両者を合体できるマシンとしてOmniGo 700LXを開発したのです。
LXシリーズの背面に2110シリーズが装着できるスロットを搭載し、内蔵された専用コネクタを通じて両者は電気的に接続。ケーブル入らずでどこでも通信できる環境を提供したのでした。
ノキアは単体でモバイルオフィスを実現できる端末も開発していましたが、HPとの協業が採用OSにも左右したと思われます。HPはLXシリーズの後継モデル「OmniGo 100」にMS-DOSではなく、GEOSを採用しました。
ハンドヘルドPCやPDA(Personal Digital Assistant)と呼ばれた小型端末は、少ないメモリーや省電力性が求められ、HPはMS-DOSよりもGEOSが有利と判断したのです。そして、そのGEOSを、ノキアもモバイルデバイスで採用しました。
1996年に発売となった「Nokia 9000 Communicator」は、閉じると10キーを備えた携帯電話、開くとQWERTYキーボードと大型ディスプレーを備えた形状になる、本格的なモバイルマシンとして最初の製品でした。
もちろんGSMを内蔵し単体で通信が可能。他社から販売されていた製品は携帯電話機能を内蔵したものはほとんど無く、このNokia 9000 Communicatorは事実上「世界初のスマートフォン」と呼べる製品だったのです。
Nokia 9000 CommunicatorはQWERTYキーボードの上部に10個のアプリケーションキーを搭載し、電話やFAX、SMS、ブラウザなどを一発で起動可能でした。
また。640×200ドットのグレースケールディスプレーはタッチパネルではありませんが、右側に4つのボタンを備え、アプリのメニューや操作キーとして利用できました。
一方、オフィスアプリは搭載されておらず、コミュニケーションに特化した端末だったと言えます。Communicatorという名前も、この本体機能から付けられたものなのでしょう。
GEOSからSynbian OSへ
スマートフォンへの本格参入を始める
1台でコミュニケーションすべてを完結できるNokia 9000 Communicatorでしたが、アンテナは折り畳み式だったとはいえ外部に飛び出ており、また充電時には本体下部にアタッチメントを取り付ける必要がありました。スーツの内ポケットに入れるには厚みもあり、モバイルマシンとは言えギリギリ持ち運べる大きさだったのです。
1998年登場の「Nokia 9110 Communicator」は、前モデルの欠点をすべて払拭した次世代コミュニケーターとして登場しました。本体サイズは173×64×38ミリの397グラムから、158×56×27ミリの253グラムへと大幅に小型軽量化。アンテナは本体収納式の折り畳み式となりました。
また、アプリはEメールに対応し、仕事のメールをどこでも送受信できるようになりました。さらには、MMCスロットを備え、データの保存や他機種とのやり取りもカンタンに行なえるようになったのです。充電はもちろん本体に直接アダプターを挿して行ないます。
Nokia 9110 Communicatorはビジネスユーザーを中心に人気製品となりました。
類似の製品としてはパームの「Pilot」シリーズが登場していましたが、単体で通話もメールも出来るノキアの製品は、国境を越えてビジネスを行なうヨーロッパやアジアでは欠かせないツールになっていったのです。ただし、OSはGEOSのままであり、オフィス系アプリは利用できませんでした。
ノキアはこのCommunicatorシリーズをさらに高機能化し、モバイル端末としての完成度を高めようと、イギリスのPDAメーカーであるサイオン(PSION)のEPOC OSに目をつけ、1998年にSymbianを設立します。
メンバーはノキア、サイオンのほかにエリクソンとモトローラで、当時の携帯電話のトップメーカーが参加しました。
Symbian OSは携帯電話メーカー主導のスマートフォンOSとして生まれたわけです。とはいえ、まだこのころは「スマートフォン」という言葉は生まれていませんでした。
そして2001年に「Nokia 9210 Communicator」が登場します。本体サイズは9110とほぼ同等ながら、内側のディスプレーは4096色と、初のカラー対応になりました。
OSはSymbian OS Series 80を採用。Symbian OSはOS部分とUI部分が切り離されており、上にのるUIによりさまざまなタイプの製品に対応できます。Series 80はQWERTYキーボード、非タッチディスプレーに対応していました。
Symbianに対応したことで、オフィス系のアプリの利用が可能になっただけではなく、サードパーティー製のアプリも多数登場しました。地図アプリなど、いまでは無くてはならないものもようやく利用できるようになったのです。
マイクロソフトやパームからも小型のPDAが多数登場しましたが、通話やSMS機能を持たないために別途、携帯電話を持ち運ぶ必要がありました。
ノキアのCommunicatorは1台で完結する製品であり、しかもSymbia OS機になってからはアプリの利用も可能になるなど、強力なビジネスツールへと華麗なる変身を遂げたのです。
とはいえ、Nokia 9210 Communicatorにも欠点はありました。データ通信は回線交換方式のみで低速、3Gには非対応。また、カメラは搭載せずに、初期パッケージには赤外線搭載の他社製小型デジカメがセットされていました。
全体サイズは大きめであり、価格も高価であることから、一般的な消費者が気軽に買える製品では無かったのです。
そこでノキアは「万人が使えるスマートフォン」として、新しいタイプの製品を開発しました。
片手で持って親指だけで操作でき、そして、アプリを使ってさまざまなことができる。いまのスマートフォンに近い製品が、2002年になってからようやく登場するのです。