高橋幸治のデジタルカルチャー斜め読み

電話としてのiPhoneがいずれ聴覚のVRになるかもしれない (1/3)

文●高橋幸治、編集●ASCII.jp

2015年11月17日 09時00分

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ラジオに電話……メディアは時代遅れになったときに魅力が再発見される

 メディアというのはおもしろいもので、最盛期を過ぎた後になってようやくその本領があらわになることがある。

 主役の座に君臨していたときには気付きもしなかった、もしくは、当たり前すぎて誰も真剣に考えなかった特性が、新しいメディアの脅威に晒され出した途端にじわじわと自覚され始める。そういう意味では、いま、各種ネット媒体に取って代わられつつあるマスメディアはことごとく再評価の対象になっていると言えるだろう。

 「ラジオ」は「テレビ」に主役の座を明け渡して久しいが、音声のみしか扱えないメディアであるがゆえに、発信/受信がともに簡易であること、電池で駆動できること、小型化が可能なこと、携帯性に優れていることなどなど……といった特質により、ユーザーは限られているものの、メディアとして独自の役割が認知されている。

 斜陽産業などと陰口を叩かれるテレビについても同様で、筆者は「見ているんだか見ていないんだかよくわからない状態」や「徹底的に受け身でひたすらぼんやり眺めていればいい」といった特性がテレビの最大の強味ではないかと考えている。

マスメディアの中で災害時などに最も力を発揮するのはラジオである。簡易な装置ゆえ懐中電灯などにも組み込まれ、ほかのメディアには真似のできない独自のポジションを確立している。写真はソニーの「ICF-B03」

 「雑誌」と「新聞」はいずれも一般的には活字メディアとして括られるが、雑誌はテレビと似たところがあり、「読む」とも「見る」ともつかない曖昧かつ希薄な意識状態で接することができる点が特徴だ。これは雑誌が「テキストメディア」というよりはむしろ「ヴィジュアルメディア」であるゆえんである。

 逆に新聞はマスメディアの中で最も利用者の積極的な参与性が発揮されるメディアと言える。だから、新聞紙でニュースを読むときの集中力の強度/深度と、ニュースアプリで情報を仕入れるときの集中力の強度/深度はやはり決定的に異なる。

 で、今日話題にしたいのは「電話」である。

(次ページでは、「電話がたどってきた道」)

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