スマホメーカー栄枯盛衰~山根博士の携帯大辞典

PDA全盛期に活躍したPalmのライバルは他社製PDAではなくスマホだった

文●山根康宏 編集●ゆうこば

2017年07月17日 12時00分

 OSは独自のPalm OS。縦型グレースケールの160×160ドットディスプレーに、よく使うアプリの4つのハードウェアボタンを搭載。クレードル経由でPCの情報をいつでも外に持ち出せる、まさしく手の平(パーム)サイズのデジタルアシスタントでした。ストレージはそれぞれ128KB、512KB。当時はこれでも十分なデータを持ち運べたものです。

 タッチパネルを搭載していいますが指先操作ではなくスタイラスペンを利用。文字は一筆書きのような専用の文字「Graffiti(グラフィティ)」を手書きするなど、使い始めは若干の慣れが必要なものの、軽快に動作することから、あっという間に話題の製品になります。

 発売年にはパームの日本語化で神様と呼ばれた山田達司氏が日本語を利用可能にするJ-OS 1.0を発表、日本からも注目を集めた製品になります。翌年には日本でも「PalmPilot Professional」が英語版のまま発売になりました。

 その1997年には3comがU.S.Roboticsを買収。商標問題もあり翌年以降の製品名はストレートに「Palm」となりました。デザインを一新した「Palm III」はストレージも2MBに増え、ビジネスユースにも耐えられる製品となっていきます。

 そして、1999年には金属ボディーの「Palm V」が登場。スタイリッシュなデザインで、ルイ・ヴィトンなどブランドのケースが出るほど話題の商品となりました。

金属ボディーの「Palm V」シリーズ。大ヒットモデルとなるが携帯電話機能は搭載せず

 さて、この連載はPDAではなくスマートフォンの歴史を辿るもの。単体でデータ通信できる、スマートフォンの元祖とも言えるパームの本家端末はこの1999年末に登場しました。

 それが「Palm VII」です。折り畳み式のアンテナを備える以外の外見はPalm IIIとほぼ同じでしたが、内部にMobitex方式の通信モジュールを搭載していました。

 Mobitexは、スウェーデンで開発されたパケット通信方式で、最大転送速度は8000ビット/秒(1Kbps)。北米では900MHzの帯域でサービスが提供されていました。

 パーム専用の接続サービス「Palm.net」が提供され、Palm VIIユーザーは14.95ドルでメールの送受信を端末単体で利用できたのです。なお、当初はWebページの閲覧には非対応でしたが、どこでもメールが読める端末としてビジネスユーザーに人気となります。

 このMobitex内蔵パーム端末はその後、2002年に「Palm i705」が発売されますが、製品はこの2モデルだけに留まりました。Mobitexは低価格なサービスでしたが通信速度が遅く、メール以外の用途には不向きでした。PDA向けの通信サービスの主力にはなりえず、Palm.netも2004年8月末でサービスが終了しています。とはいえ、Palm VIIやi705のように単体でデータ通信できる利便性は、一度使うと病みつきになるものだったはずです。

 日本では2000年に登場したIBMブランドの「WorkPad 31J」がPHSを内蔵し、ドコモやアステル回線でデータ通信が可能でした。しかし、他の国向けにはデータ通信機能を内蔵したモデルはなかなか登場しなかったのです。なお2000年には3comからパームが独立しPalm Computingとなっています。

 ちなみに、この頃はパームの本体に装着するアタッチメント型の通信モジュールがいくつか登場しました。例えば、OmniSkyはCDPD(Cellular Digital Packet Data)方式を利用するPalm V用の通信モデム「Minstrel V」を投入。月額29.9ドルでデータ通信が利用できました。

 また、UbiNeticsの「GA100」はGSM対応の音声端末でしたが、ATコマンドを叩いてデータ通信ができるといううたい文句もありました。もっとも通信回線はかなり低速だったと思われます。

本体に合体できる通信アダプターがいろいろと発売された

 ほかにも携帯電話をつなぐためのアダプターや、赤外線を使ったデータ通信など、パームの端末を使って外出先からデータ通信するためのアクセサリー類がいろいろと発売されました。

 当時はアナログ回線からデジタル回線への移行期でもあり、PDA本体へ通信機能を内蔵するよりも、外付け機器で通信するほうが機器の開発も容易だったのでしょう。

パームからスマートフォンの登場。そして、ライバル企業の買収へ

 真のスマートフォンと呼べる製品は、2003年まで登場を待つ必要がありました。2003年2月に発売された「Tungsten W」は世界標準のGSMのデータ通信方式、GPRSに対応したモデルです。320×320ドットのディスプレーは6万5000色カラー対応で、その下にはQWERTYキーボードを備えていました。

 GSMの3バンドに対応するため理論上は北米・ヨーロッパ・アジアなどGSM方式を採用するすべての国に対応します。これ1台あれば世界中でメールもウェブサイトも利用できる夢のような製品となりました。

GPRS対応の「Palm Tungsten W」。各国のキャリアからも販売された

 しかし、パームのライバル、ハンドスプリングはすでにGPRS対応の「Treo 180」「同180g」を1年前の2002年2月にリリース済み。5月にはカラーディスプレーの「Treo 270」も発売しており、スマートフォン化ではパームの先を走っていました。当時は、まだ通信費が高めだったとはいえ、単体通信できるTreoの人気は高まっていきます。

 Tungsten WはこのTreoシリーズをライバルに開発されたモデルだったのでしょう。しかし、2002年にはノキアがSymbian OS搭載のパーソナルスマートフォン「Nokia 7650」を発売。また、ビジネス向けではBlackBerryの「BlackBerry 5810」がプッシュメールサービスを開始するなど、PDAの王者だったパームを取り巻く環境は急激に変化しました。

 それにいち早く気が付いたのが、ハンドスプリングだったのです。ハンドスプリングはそれまで販売していたPDA「Visor」シリーズの開発を中止し、通信機能内蔵のTreoへと製品を転換。それが成功します。

 パームの人気に目を付けたマイクロソフトがPocket PC機を次々に出し、ザウルスなどLinux OS搭載のPDAも様々な製品が販売されていました。しかし、パームの敵はそれらではなく、携帯電話機能を搭載したスマートフォンになろうとしていたのです。

 Tungsten Wを発表した2003年の10月に、パームはハンドスプリングを買収します。これにより同社のスマートフォンのラインアップ「Treo」シリーズを手に入れることになります。

 ハンドスプリングは同年6月に「Treo 600」を発表していましたが、パームはこのTreo 600をそのまま自社製品にするために同社を買収したとも言われています。パームの開発力では、Treoを超える製品を生み出すことはできなかったのでしょう。

買収によりパームから発売となった「Treo 600」

 Treo 600は片手で持てるコンパクトなボディーにQWERTYキーボードを搭載し、メタリック塗装で高級感もある外装からTungsten Wを上回る評判になることは発売前から目に見えていました。

 しかも、GSM/GPRSバージョンだけではなく、CDMAバージョンも投入し、北米やカナダなどCDMAの強い地域向けのモデルも発表しました。

 一方この頃、北米では通信キャリアのT-Mobileが横型のスライド式でQWERTYキーボードを搭載したスマートフォン「T-Mobile SideKick(Danger HipTop)」を発売し、若者を中心に人気となります。PDAからスマートフォンへの移行を急がなければ、パームは地元アメリカでもシェアを奪われかねない状況だったのです。

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